毎日向き合う多様性 シアトル編

一昨年、シアトルに引っ越して「あ〜、やっと辿り着いた」とすぐに泣き出した私。長年あちこちへの引っ越しが相次ぎ、マイホーム、ここが私の住まいと言うところがなく、落ち着かないまま必死に仕事に集中しました。

シアトルは海と山と自然が本当に豊富で単純に美しいと感動する街です。ダウンタウンがあり、郊外があり、曇っていなければどこからでも山が見えると言う信じられない美しさの街です。Amazonの本部、マイクロソフトの本部、Adobeの本部など仕事も豊富。縦に細長い街なので大きくなるにはどうしても東、北と南にしか建てられない。

やっと落ち着いた生活が出来て、毎日が楽しい日々が続く中、徐々に気がつき始めた事がある。アジア人が多い。中には仕事で来ている人もいれば、アメリカ国籍ととった人もいる。そして、中にはアジア系アメリカ人も大勢いる。シアトルの人口の5人に1人がアジア人、もしくはアジア系アメリカ人であるらしい。日本からも移住してきた人の子孫、いわゆる3世や4世は顔を見るとアジア人。口を開くとアメリカ人とちょっとした錯覚を思わせるような人なのです。

さすがに5人に1人となると周りに白人ではないアメリカ人、もしくは外国人が大勢いて当たり前になるのだ。もう一つ面白い事がある。日本人もシアトルには数万人いるらしい。日本人と日系アメリカ人は見て違うのだ。日系アメリカ人はどう見ても日本人に見えない。日本人は日系アメリカ人には見えない。この差は何なのだろう。

洋服?確かに。でも、一番説明しやすいのは日系アメリカ人は仕草も話し方も行動も態度もニュアンスも完璧にアメリカ人なのだ。自分は日系アメリカ人と言うことは
もちろん分かっている。そして、コンプレックスが全くないのだ。日系だからアメリカ人ではないなんて誰も思っていないらしい。日系アメリカ人もベトナム系アメリカ人もインド系アメリカ人も韓国系、中国系、フィリピン系、みんながアメリカ人。肌の色も英語意外に話す言葉も、習慣も宗教も何もかもが違うのに、みんな堂々と「私はアメリカ人」と言う。

この毎日向き合う多様性がまた面白いのだ。シアトルの場合はこれが普通なので変と思う人はなかなかいない。多様性は面白い反面、正直に向き合わなくてはいけない課題も多い。根本的にまだ白人主義と言う感覚があり、白人=アメリカ人、と言う意識が消えない。でも、外に出ると当たり前に白人以外の人と合わない日なんてない。問題もある。でも、人口の半数以上は多様性が当たり前と思っているので問題もケースバイケースとなってしまうのだ。この例外がブラックと呼ばれるアフリカ系のアメリカ人。この人たちへの差別はまだまだある。これがなぜ解決されていかないのか。これは今日、このブログの投稿で説明できる内容ではない。

家の外に出ると、私は「外もの」「外国人」が誰だか分からないので、ビビっている暇なんてない。みんな何だかの形で違うのだ。無視できない多様性。私はこれが好き。そして、多様性が普通であり、近所の方が何系、何色であろうとみんな面白くお付き合いしているのだ。

多様性の面白さ。知ってもらいたいです。