話が違う
当時知っていた日本人の中で、唯一この問題を解決出来る人が一人いた。その人に電話し、問題の内容を説明し、大声で、「話が違う!」と怒鳴った。彼は「分かった」と言い、電話を切った。
30分後、彼から「もう大丈夫だから」と電話が入り、感謝感謝。何度も「さすが」と「頼ってよかった」と「やっぱり貴方はすごいわね」と「本当にありがとう」と言った。そして、怒鳴った事を誤った。
仕事も家庭も学校も友達も全部大事にしたい私。恥ずかしいが、ここ10年で初めて気づいた事実。全部私一人では出来ない。やりたい事がたくさんある。会いたい人がたくさんいる。大事な人がいるのに会えない。ちっとも面白くない病気もいくつか抱えている私。問題は一人では解決出来ないのだ。誰かにお願いする事は決して私が弱いからではない。助けが必要だからだ。助けが必要とやっと言えるようになったのがここ10年。もしくは10年ちょっと。
ここで思い切り話を逆さまにする。
A D H Dであると、と診断されたのは2021年2月。どうしたらいいのか分からなかった。診断した医者も頼りにならない。なぜなら、アメリカではA D H Dの診断をする事ができるのは特殊な知識を持っている人しか出来ないのだ。そして、この知識を持っているからと言って、治療をする訳ではない。
私を診断した医者から助けてもらえない、と分かった私はすぐに行きつけの医者に電話した。治療方法が知りたかったのだ。一般的な治療方法を話し合った。一種のカウンセリングテクニックがよく効く。だが、薬が一番早く効く。そして、薬は症状を和らげると言い、いくつか試してみた。3度目の正直。3回目にトライした薬が一番いい。その薬を見つけるのに2年かかった。
私に合う薬を見つけると同時に、思い切り勉強した。アメリカにはA D H Dの情報が物凄く多い。素晴らしく多い。でも、自分に合う治療法はやってみてからではないと合うか合わないかが分からない。
一つ明らかになった事がある。私のA D H Dは問題が起きた時に、危機状態の時に脳が冷静に働くと言うタイプなのだ。誰がどうしたらこの問題を解決する事ができるか。何をどうしたら解決出来るか。
危機状態。普通は思い切り大きな、大変な事が起きるとパニクル。私はすぐ解決モードに入るタイプ。
これは面白い。
日曜日の考え事。
自分をもっとよく知る。他人に助けを求める。A D H Dが私の人生をどう影響しているか。久しぶりにこう考えてみるとA D H Dは面倒だけれど、一種のスーパーパワーでもある。